前回に続き、山口市阿知須から。

首谷ヶ浴

この池は、首谷ヶ浴(くびたにがえき)と呼ばれている。
かつて、人々が身を投じていた場所だ

この池にまつわる話を説明版から引用しておこう。

首谷ヶ浴

戦国時代、防長両国を統一した毛利元就は、
なおも四方の武将との戦いに明け暮れる毎日でした。
永禄12年(1569)、九州に出陣した毛利氏は、
豊後の雄、大友氏と激しい戦いを交えていました。
この時大友軍は、毛利軍の背後を衝くために、大友輝弘を大将にして、
大軍を秋穂浦から白松庄阿知須浦に上陸させました。

上陸した軍勢は、山口へ攻め入るために、現在の北祝地区にあった
光明寺の住職と5人の村人を、道案内人として無理やり連れて行きました。
輝弘は、急を知って引き返した毛利軍に敗れ自刃しましたが、
その僧と5人の村人も道案内をしたという理由で、この池で殺されました。

このことがあって以来、世をはかなんだ人々がこの池に来て身を投じ、
自分でその命を絶つようになったといいます。

大正13年(1924)、このことに心を痛めた近在のお坊さんと村人が集まって、
大法要を営み、供養碑を建ててその霊を弔いました。

それからこのような悲話は全く後を絶ち、
今ではその碑と、昔はすり鉢のような深い池であったことを思わせる
「かがちだんぽ」という呼び名だけが残っています。

首谷ヶ浴

こういった昔話や、伝説・民話などを見つけるのが楽しいんだけど、
セダンでは狭い場所が多いんだよなあ。
そろそろ折り畳みの自転車購入でも考えてみるか…。



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2013.08.23 Fri l 山口市 l COM(0) TB(0) l top ▲

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