日曜日は宇部市の来迎寺など、近場での新緑の旅。
その旅の中で立ち寄った名所の一つ、
山陽小野田市の厳島神社(市岐嶋神社)にある来嶋又兵衛誕生地。

来嶋又兵衛誕生地

来嶋又兵衛(きじままたべえ)とは、どんな人物なのだろうか。

維新の偉人

以前購入した、萩・維新の偉人イラスト額縁にも来嶋又兵衛が描かれている。

来嶋又兵衛

来嶋又兵衛(1816~1864)
奇兵隊に対抗し、遊撃隊を組織したとある。

来嶋又兵衛誕生地

境内にある来嶋又兵衛誕生記念碑。
来嶋又兵衛についての説明版もあったので、引用してもう少し詳しく紹介しておこう。

来嶋又兵衛誕生地

又兵衛は剣は新陰・神陰両流の免許皆伝。
槍術・馬術にも優れ、加藤清正の再来とか、鬼又兵衛と呼ばれた。
また一徹な正義家であり、几帳面で行政面にも長じ、大倹使役、江戸方御用所役、
地方所帯方役など、藩の要職を歴任した。

来嶋又兵衛誕生地

禁門(蛤御門(はまぐりごもん))の変は、文久3年(1863)8月の改変で、
都落ちした藩主の毛利敬親・元徳父子、および三条実美ら七卿の雪辱の為に、
又兵衛が急先鋒となり遊撃隊を率いて京にのぼり、禁門の蛤御門でここを守る
薩摩や会津の兵との間で起きた戦い。

来嶋又兵衛誕生地

森鬼太郎と変名し、馬上で采配を揮って真っ先に進撃した又兵衛は、
薩摩兵の銃撃隊として活躍した川路利良の銃弾で胸を撃ち抜かれ落馬。
助からないと悟った又兵衛は自ら槍で喉を突いた後、
介錯を命じていた甥の喜多村武七に首を刎ねられ果てた。
時に元治元年(1864)7月19日、48歳だった。
首級は、喜多村武七が故郷に持ち帰った。

来嶋又兵衛誕生地

長州藩は禁門の変で、不幸にも敗れて一時朝敵の汚名を受け、
二度にわたる幕府の征長軍を迎えたが、第二次征長戦の四境の役(四境戦争)で
高杉晋作などの活躍で勝利をおさめ、やがて王政は復古し維新回転の実を結んだ。

又兵衛はいわばその火付け役、その功を賞されて明治24年、正四位を追贈された。


新緑もきれいだったし、楽しい旅だったな。
いずれ維新の偉人に関わるゆかりの地を全て巡ってみよう。



ちなみに俺は幼少の頃に足のかかとを骨折してるんだが、
その場所がこの厳島神社すぐそばという、ある意味思い入れのある場所だ(笑)


ホームページでも地域別に風景・グルメ&お土産を紹介!
「山口県の旅」も見てね♪




ブログも応援してね♪
ポチっと押して頂けると嬉しいです♪




2014.05.13 Tue l 山陽小野田市 l COM(0) TB(0) l top ▲

コメント

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://yamaguchitabi.blog82.fc2.com/tb.php/257-967b43ac
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)