さてさて、少し前に松陰神社周辺を歩いたネタを紹介。
松陰神社で文さんだんごを食べた後は、松陰神社横にある吉田稔麿誕生地へ。

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吉田稔麿は、高杉晋作らとともに松陰門下の四天王といわれた人物。
松陰の死後、尊王攘夷運動に参加し、屠勇隊(とゆうたい=有志の部隊)を組織。
元治元年(1864)、京都三条の池田屋旅館で他藩の志士と会談中、
新撰組に襲われ負傷し、24歳の若さで死去。

現在の誕生地は、石碑が残るのみとなっている。

続いて松陰神社入り口前まで歩いて、

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松浦松洞(まつうらしょうどう)誕生地。

松浦松洞は幕末の画家で、安政3年(1856)に松下村塾へ入門。
松陰自賛肖像は、安政の大獄で江戸に送られる直前に描いている。
文久2年(1862)、久坂玄瑞らとともに上京、公武合体論を主張する長井雅楽の
暗殺を計画するが失敗。
時事に憤慨し、京都粟山田の山中で自決した。享年26。


ここで一旦車に乗って、楫取素彦旧宅地へ。

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花燃ゆが始まるまでは、まったく知らない人物だったんだよなあ。

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平成26年11月に旧宅地を整備し、東屋や園路、駐車場が整備。

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東屋には楫取素彦やゆかりの人々を紹介する説明板や、
周辺案内図のパネルが設置されている。


この旧宅地から80mほど遊歩道を歩くと、山田顕義(よしあき)誕生地がある。

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山田顕義も松下村塾門下生の一人で、松陰にとって最年少の門下生であった。
誕生地は「顕義園」(ケンギエン)として整備されている。

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園内には「山田顕義先生之像」。
法治国家を目指して奮闘し、日本大学、國學院大学を創設した人物として知られている。

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続いて、玉木文之進旧宅。
松下村塾の創立者であり、吉田松陰の叔父である。
明治9年(1876)、前原一誠が主導した萩の乱に多くの門弟が参加したことから、
「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」と残し、自刃した。享年66歳。

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旧宅は現存しており、中に入って見学することもできる。


お次は、楫取素彦の兄、松島剛蔵旧宅地。

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最初の洋式軍艦丙辰丸の艦長となり、長州藩海軍局の頭人に就任。
吉田松陰や桂小五郎とは友人だったようだ。

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最後は、品川弥二郎誕生地。
松下村塾門下生の一人で、七卿落ち、禁門の変、戊辰戦争など
幕末の戦争において第一線で活躍した人物でもある。



と、ぶらぶら歩き回った松陰神社周辺だった。
まだまだ名所はたくさんあるけど(吉田松陰誕生地や伊藤博文旧宅など)、
それらは過去に旅しているので、今回はこの日に旅した場所だけということで。

各名所はいずれホームページで詳しく紹介しよう♪



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2015.05.05 Tue l 萩市 l COM(0) TB(0) l top ▲

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